はじまりとおわりのはなし

オーケストラのチューニングの音はラだ。

ラ、はラッパのラ〜...

そしてラはドイツ音名でA。周波数は440Hz。

 

何故ラがAと呼ばれているのか

それは「生まれたばかりの赤ちゃんの泣き声が ラ だから」 という話を目にした事があった。諸説あるのは勿論なのだが、私はこの、ラがABC...のA、つまりは''はじまりの音''というこの話がとても好きなのだ。命が 愛が 新しいが生まれてくる音、はじまり...それが世界共通として親しまれている事に 私は時折想いを馳せるのである。(どこの詩人)

 

そして私のはじまりの音が SEKAI NO OWARI だった。私の中のA。すべてのはじまり。そしておわり、の様な気もする。というか、凄く小さな事ですぐにおわった...と発言する私の側にいてくれるのが 彼ら だったからかもしれない。おわりはドン底で、暗くて、震え上がる程恐れるもの。私の中でおわりは恐怖症を名乗りたいぐらいに嫌っているものだ。例えば楽しかった時間、何かの締め切り、美味しい食べ物があと一口...だからこそ何かに躓いてしまった時 おわりという言葉を軽々しく登場させては最悪な気持ちをおわりに演じてもらっているのだ。(これがまた実に名演技でね...代役とか考えられないのよ...!)

 


 

「終わっちゃうのは寂しいでしょ。だから終わりから始めよう。」

 

 

そんなおわり を名乗る人間が何故私の はじまり になったか。それは彼らが おわり に秘めたこんな思いに引き寄せられたから...なんて 運命的には言い表せないのが現実、実際のところは小学6年生の頃ある一曲に出逢ったから なのだ。

 

空は青く澄み渡り 海を目指して歩く 怖いものなんてない 僕らはもう一人じゃない

 

皆様にもお馴染みなのではないだろうか、そう これはRPGという曲の一節だ。私はこの爽やかで力強いこの歌詞に心を掴まれた。でも何故 この曲だったのか。私は幼稚園の頃からダンスを習っていた訳だし 音楽には親しみがあったはずだ。その頃はBIG BANGやKARAが好きだった。心躍る曲たちになんとなくの好意を寄せていた(そしてそんなアーティストに心惹かれていた)。また、あたかも 全員が好きだ と言わんばかりに同級生が執拗に聞いてくる「嵐(AKB48の時もあった)の中で誰が好き?」という質問に答えるべく 耳にするようにしていたアーティストのたちの曲も嫌いではなかった。いつの間にか 全員が好き という世の渦に紛れ込んでいたのだ。

きっと当時の私はあの言葉を求めていたのだろう。世の渦の住人だった訳だし 一人ではない事なんてもちろんわかっているが、そうではない。ここで感じている一人への寂しさは 思いを打ち明ける事ができない内側の自分の孤独だ。私は人に相談をする事が苦手で自分を追い詰め「世界で一番の不幸者だ」と独り感傷的になる事が日常茶飯事で 自らの物語をなんとも悲劇的なものに作り上げるプロなのだ。そんな私に寄り添ってくれたのがこの歌詞(言葉)だった。今まで歌詞になんて目をつけていなかった。慰めを求めていたからこそ、歌詞の力に出会えたのだ(ちなみにこの曲に出逢うきっかけが 当時好意を寄せていた子の影響だという話は この際揉み消しておこうと思う)。

 

 

煌めきのような人生の中で 君に出逢えて僕は本当に良かった

 

 

その後、彼ら、SEKAI NO OWARIの他の曲を聞いた。

ポップでファンタジーな 想像していた曲もあれば、ダークな曲調のものまで幅広く奏でていた。カラフルで鮮やか 虹色から黒まで揃い、芯がある。聴く者に細やかな色合いを与える まさに色鉛筆の様に感じた。そんな中でも一貫として彼らの曲に存在していたのは ''伝えたい事''を惜しげもなく曲に託しているというところ。

 

僕たちが見ている世界は加工、調整、再現、処理された世界だから貴方が見ているその世界だけが全てではないと皆だってそう思わないかい?

 

せいぎせいぎせいぎせいぎ...の中にある沢山のギセイを君は絶対に疑わない

「何で?」「何でってそりゃあ...」 君は何を信じてる?

 

一見重たい。いや 深く考えても重い...(苦笑)

こんなにも重苦しく考えたくもない事を問い質された経験はあるだろうか。そして 気が付いて頂けるだろうか、この鼻で笑い流したくなる言葉が 事実 であり 日常に潜み 気付かず見て見ぬふりをしているという事に。私はそれが怖かった。なんて恐ろしい当たり前なのだろう、と。こんなにも辛辣な現実を世界に音楽を通し伝える。そんな彼らに私は惹かれたのである。そして、音楽が楽しむものという観点だけでなく 言葉を伝える という力を持っている事に気付き 感銘を受けたのである。

ところが、この事に気が付いた当時中学生の私は 彼らへの思いを隠し生活をした。私に与えられた新たな中学校という場所は彼らへの 悪口 で溢れていたからだ。彼らが絶頂期(世間的に)だったという事で お昼の放送として幾度と学校に響き渡る彼らの音楽(叫び)に、私の周囲の人間の多くは「厨二病」という言葉を掲げ批判していた。正直、理解できなかった。私の周りには人と馴染む事、いや 人と馴染むために自分の色を周囲の色で塗り潰す事、が無言のルールになっている様な環境(そう これこそが悲劇のヒロイン作家の十八番 思い込みの術!)だったため、私は何も言えなかった。怖かった。賛同しない事 それが唯一の私から周囲への批判だった。弱かった。正直なところ 周囲にもこの言葉の力を分かって欲しかった。だが、出来ずに私はその場を卒業した。

 

 

For you, I’ll sing this song  Please stay, it won’t last long

Years after we are long gone  The meaning will stay strong

君にこの歌を歌うよ 少しの間、そばにいて聞いて欲しい
きっと長い時間かけて大切な曲になると思うんだ

 

 

今 私は大学生になった。もう彼らに出逢ってから6年という歳月が流れてしまったらしい。どんな場面でも口にしてしまうが 時の流れというものは本当に早いものだ。いつまで経ってもこの感覚に慣れる事はないのだろう。けれども、私は彼らへの思いをいつまでも捨てずに保管し、それと同時に あの時 の周囲への思いも捨てずに握り締めたままだ。捨てられなかった、というのが適しているのかもしれない。それは根に持っているからではなく(勿論当時は中指を立てていた)(......もしや私が厨二っ?!)、あの時伝えられなかった私の本当の思いを 今では発信したいと考えているからだ。正直、怖い。これが果たして正しい道なのか、そもそもこんな高望みを私がして良いのか...。まだ彼らに側に居てもらわなければ踏み出せないと思う。けれども。彼らが私に教えてくれた様に 伝えたいのだ。叫びたいのだ。誰かの はじまり になりたい。知らない誰かに寄り添い、問い掛けたいのだ。

 

 

People needing to be saved Scream out our help every day
But we grown numb to the sounds And feelings slowly start to drown

The first time, we can hear a voice But soon it all becomes noise
Fading to silence in the end I know it doesn’t make sense…

助けを求めてる人は毎日「助けて」と叫んでる

でもその音が続くとどんどん聞こえなくなって無感覚になっていく

1回目は「助けて」が聞こえる でもそれはそのうち「騒音」になる

そして「騒音」は「静寂」になっていく こんな風に言うと難しいかもしれないけれど…

 

 

方法も 伝えたい明確なもの もまだはっきりと決まっていない、これからそのための術を沢山学べる場で確立したものを見つけていきたいと思っている。そう これはまた私の新たなはじまりだ。(熟 彼らには多くのはじまりを提供して貰っている...頭が上がらない...)まだまだ長い道のりになる。きっとまた私は悲劇のヒロインになるのだろう。けれども、私には彼らの音楽が 言葉がある。

 

今君のいる世界が辛くて泣きそうでもそれさえもプレゼントだったと笑える日が必ず来る

 

私の おわり は誰かに はじまり を提供できた時なのではないか、と思っている。

まだはじまったばかりなのにおわりを提示するのは良くない気がするが...そうであって欲しい、そう思うのだ。

私のA。

はじまり。

こたえ。

 

いつまでも私はAを A いしている。

 

 

Now I’d like to thank you for staying by my side…

そばにいてくれてありがとう

 

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2020.5.16 mm