近況

*ちょっと重たいですから、元気な時に読むことをおすすめするし そもそも読まない方がよかいもしれません。笑

 

 

 

胃潰瘍  帯状疱疹  局部のヘルペス そしてこの前の気胸

気胸以前のものは原因がわからず、

後でストレスと気が付いた

ストレスを受けていたことさえも気が付かなかった時がある。それも恐ろしいね

けど気胸の時は確信があった。それで振り返ることで過去の謎の病気たちもストレスだと気が付くことが出来た。

だから今、怖い。

最近のここまでの道のりがあまりにも苦しかったから、また、何かなる。

 

 

どっちにしろ決めつけられるのが怖く、ずっと自己診断なので思い込みなのかもしれないが、恐らくADHDの不注意性の強い分類なのだろうなと思っている。

今、そこから派生したものの症状が強く、支障が出ている。

 

 

習い事の日程の間違いに 到着してから言われて気が付いた時、

自分は1人だけど 他の制作陣は多人数で  明確な意味もなく自分は駄目なリーダーだと思った時、

連絡が約束より少し遅くなってしまった時、

とにかく不安が ぱっ と頭に過ぎった時

名俳優かと言わんばかりに どんな場所でも秒で涙が溢れた

 

言葉に出来ないが  椅子に座る というのが無理で横になるかしゃがむか体育座りしか出来ない。

ひとりになれる、暗闇が心地よいという理由の時もあれば

なにか気になることがあって解消するまで調べてしまったり

朝が 次の日が怖くて不安、涙が止まらなくて眠れない日も続いた

その分休める日を得れば寝ることだけをした、正しくはしか出来なかったかもしれない

何をしても起き上がれなくて寝て逃げるしかなかった

終わりを何度も夢見た

 

 

1番怖かったのは、時間が守れないこと。

急げない。時間配分がわからない。

危機感が持てない。

やる事が多すぎて何を優先したらいいかわからないし、ひとつの事しかやることが出来ない。(同時進行が出来ない  忘れてしまう)

こだわりを優先して 必要ない量を制作して期限ギリギリになった課題。

バイトや習い事や学校系のものは特に憂鬱が凄くて動けなくなる。

横になりながら準備をしたこともある。

とにかく立てない。

気候に合っていて ダサくなくて 自分が不快でない服装を選んで、髪を整えて、電車に乗って

その予定自体も、それまでの過程も全てが重苦しく

予定にたどり着くことが困難だった。

でも、正しく真面目でなくてはならない自分がいる。表面で作ってしまった自分。

いつもはこちら側の自分が勝っているからギリギリを乗り越えてきていたのだが、今回は難しかった。

どんなに楽しみだった連日のライブでも ギリギリまで動けなくてずっと横になっていた。

この状況になったのは2日目のみで、恐らく原因は1日目に受けた衝撃が本当に凄すぎたから。

長く好きな分、深い心情の動きがあるから

知らぬ間に疲弊、というか感情の変動が身を削っていたみたいで。

(私の中で物語を受け付けない時があるんだけど 多分これは感情移入の疲弊から自然と体が拒否反応を示していたのだと最近思う)

幸い同行者の母がいたから 間に合うようには動けたが、

それで、ここが大事で、

あんなにも無気力だったのにも関わらず、実際動き出して服を選んで装飾物をこだわりを持って決める事は好きだから物凄く集中して苦ではなかった。

 

 

そして次に悲しいのが

今のバイトがもう出来ない気がしている事。

この症状に悩まされてから、1回はイン30分前に急遽休み、2回目は家を出る前から息苦しくなってしまった。

仕事自体忙しくなければ 何をすればいいかとソワソワしてしまうし

忙しければタイマーやデリバリーの音など止むことの無い急がせる音が怖かったし

すぐに忘れてしまう事や 判断力が弱い事、

認識が苦手なカタカナと数字の並びばかりを見て打ち込んだり喋ったりする事も意識を強く持たないと難しい。

これのせいでどうしても動きの鈍い自分が申し訳なかった。

なんとなく以前から思っていた事だがこのバイト先の環境は本当に自分に合っていなかった。

けど、何より人が良く、自分の特性に気付かなければ続けていられたのかもしれない。けど、気付かなかったら、と思っても怖い。

 

ただ前回行った際、

シフトを作る若い男性社員さんが割と話しやすくて優しい印象だったので この人なら もし 心のせいで仕事を休むもしくは辞めるとなっても相談出来るかもしれない。と思っていた人に、

棒金を急いで開けようとし 自分の指を誤って打って出血したので絆創膏を取りに行ったら

「もう仕事やだ!ってメンヘラみたくなった?笑」

明るく軽く、冗談を言ったりしたつもりだったんだろうけど

この人には無理だ と思って悲しくなった

また、名俳優になるところだった

 

 

 

今は自分のことを沢山喋ってくれる友人2人と静かにしていても苦でない友人1人の4人で基本居ることもあり、その場しのぎが出来ているため  なんとか学校には行けている。あと、ステージで踊れる最後の機会であろう学祭が迫っていることもある。何とかこれには出たい。

4学期制になってから 1回の休みが重くあまり回数を休むと単位を取ることが出来なくなるので

本当に怖い

もし診断されたのであれば 証明して休めるのかもしれないが、大体予約制で苦手な電話が必要な上に、コロナのせいでこういった症状に悩まされている人が多いらしく  中々予約をこじつけることが出来ない。その上私の場合、自分の好きなことをやっている時は全く鬱を感じないから、診察がその時に当たればもしかしたら症状の辛さを伝えることが出来ないかもしれない。

ちなみに私の大元の原因は家庭環境。

治療には家を出る必要がある。バイトも出来ない今自分の力で逃げることは不可能で、

もう無感情で時を待つことしか出来ない。

私が彼氏が欲しいのは、逃げる先になるから。笑

 

 

段々と自分の特性が理解できた今、

限界が来た時の保護として、少しの希望を持って

今回は診断を受けようと思っている。

違うことを願いつつも、守ってもらえるような気もしてそうであって欲しいとも思う。

何にせよ、友人には恵まれているし、

1番影響を受けた好きなアーティスト本人がADHDだから、なんだか、行けそうな気がしている

私も 短所は長所だ(Like a scentより)を言えるように。笑

 

感覚的に 体調を崩さなければ10月中旬までには落ち着くと思っている (何度もなっているから大体当たる)

ので、まあ、こういう奴もいるんだなあと思ってもらいたいなと、この機会に、あと、喋れないから、一応書いとこうかな

 

 

ここまで読んだ方、すごい。笑

こんなに不安要素しかないの読ませといてあれなんだけど、心配されるのが一番苦手なので

ふーん だから静かなのかSNS くらいに受け止めてね。笑笑

私の場合は残念ながら 喋る が苦痛だし自分の事を話すと高確率で泣いてしまうから相談することが出来ないけど、皆のことを頼ってない訳じゃないし、皆側からSOSがあれば言って欲しい。

何度も堕ちてるので 少しは救える自信がある

 

今日もお疲れ様でした

よくがんばりました ありがとう!

はじまりとおわりのはなし

オーケストラのチューニングの音はラだ。

ラ、はラッパのラ〜...

そしてラはドイツ音名でA。周波数は440Hz。

 

何故ラがAと呼ばれているのか

それは「生まれたばかりの赤ちゃんの泣き声が ラ だから」 という話を目にした事があった。諸説あるのは勿論なのだが、私はこの、ラがABC...のA、つまりは''はじまりの音''というこの話がとても好きなのだ。命が 愛が 新しいが生まれてくる音、はじまり...それが世界共通として親しまれている事に 私は時折想いを馳せるのである。(どこの詩人)

 

そして私のはじまりの音が SEKAI NO OWARI だった。私の中のA。すべてのはじまり。そしておわり、の様な気もする。というか、凄く小さな事ですぐにおわった...と発言する私の側にいてくれるのが 彼ら だったからかもしれない。おわりはドン底で、暗くて、震え上がる程恐れるもの。私の中でおわりは恐怖症を名乗りたいぐらいに嫌っているものだ。例えば楽しかった時間、何かの締め切り、美味しい食べ物があと一口...だからこそ何かに躓いてしまった時 おわりという言葉を軽々しく登場させては最悪な気持ちをおわりに演じてもらっているのだ。(これがまた実に名演技でね...代役とか考えられないのよ...!)

 


 

「終わっちゃうのは寂しいでしょ。だから終わりから始めよう。」

 

 

そんなおわり を名乗る人間が何故私の はじまり になったか。それは彼らが おわり に秘めたこんな思いに引き寄せられたから...なんて 運命的には言い表せないのが現実、実際のところは小学6年生の頃ある一曲に出逢ったから なのだ。

 

空は青く澄み渡り 海を目指して歩く 怖いものなんてない 僕らはもう一人じゃない

 

皆様にもお馴染みなのではないだろうか、そう これはRPGという曲の一節だ。私はこの爽やかで力強いこの歌詞に心を掴まれた。でも何故 この曲だったのか。私は幼稚園の頃からダンスを習っていた訳だし 音楽には親しみがあったはずだ。その頃はBIG BANGやKARAが好きだった。心躍る曲たちになんとなくの好意を寄せていた(そしてそんなアーティストに心惹かれていた)。また、あたかも 全員が好きだ と言わんばかりに同級生が執拗に聞いてくる「嵐(AKB48の時もあった)の中で誰が好き?」という質問に答えるべく 耳にするようにしていたアーティストのたちの曲も嫌いではなかった。いつの間にか 全員が好き という世の渦に紛れ込んでいたのだ。

きっと当時の私はあの言葉を求めていたのだろう。世の渦の住人だった訳だし 一人ではない事なんてもちろんわかっているが、そうではない。ここで感じている一人への寂しさは 思いを打ち明ける事ができない内側の自分の孤独だ。私は人に相談をする事が苦手で自分を追い詰め「世界で一番の不幸者だ」と独り感傷的になる事が日常茶飯事で 自らの物語をなんとも悲劇的なものに作り上げるプロなのだ。そんな私に寄り添ってくれたのがこの歌詞(言葉)だった。今まで歌詞になんて目をつけていなかった。慰めを求めていたからこそ、歌詞の力に出会えたのだ(ちなみにこの曲に出逢うきっかけが 当時好意を寄せていた子の影響だという話は この際揉み消しておこうと思う)。

 

 

煌めきのような人生の中で 君に出逢えて僕は本当に良かった

 

 

その後、彼ら、SEKAI NO OWARIの他の曲を聞いた。

ポップでファンタジーな 想像していた曲もあれば、ダークな曲調のものまで幅広く奏でていた。カラフルで鮮やか 虹色から黒まで揃い、芯がある。聴く者に細やかな色合いを与える まさに色鉛筆の様に感じた。そんな中でも一貫として彼らの曲に存在していたのは ''伝えたい事''を惜しげもなく曲に託しているというところ。

 

僕たちが見ている世界は加工、調整、再現、処理された世界だから貴方が見ているその世界だけが全てではないと皆だってそう思わないかい?

 

せいぎせいぎせいぎせいぎ...の中にある沢山のギセイを君は絶対に疑わない

「何で?」「何でってそりゃあ...」 君は何を信じてる?

 

一見重たい。いや 深く考えても重い...(苦笑)

こんなにも重苦しく考えたくもない事を問い質された経験はあるだろうか。そして 気が付いて頂けるだろうか、この鼻で笑い流したくなる言葉が 事実 であり 日常に潜み 気付かず見て見ぬふりをしているという事に。私はそれが怖かった。なんて恐ろしい当たり前なのだろう、と。こんなにも辛辣な現実を世界に音楽を通し伝える。そんな彼らに私は惹かれたのである。そして、音楽が楽しむものという観点だけでなく 言葉を伝える という力を持っている事に気付き 感銘を受けたのである。

ところが、この事に気が付いた当時中学生の私は 彼らへの思いを隠し生活をした。私に与えられた新たな中学校という場所は彼らへの 悪口 で溢れていたからだ。彼らが絶頂期(世間的に)だったという事で お昼の放送として幾度と学校に響き渡る彼らの音楽(叫び)に、私の周囲の人間の多くは「厨二病」という言葉を掲げ批判していた。正直、理解できなかった。私の周りには人と馴染む事、いや 人と馴染むために自分の色を周囲の色で塗り潰す事、が無言のルールになっている様な環境(そう これこそが悲劇のヒロイン作家の十八番 思い込みの術!)だったため、私は何も言えなかった。怖かった。賛同しない事 それが唯一の私から周囲への批判だった。弱かった。正直なところ 周囲にもこの言葉の力を分かって欲しかった。だが、出来ずに私はその場を卒業した。

 

 

For you, I’ll sing this song  Please stay, it won’t last long

Years after we are long gone  The meaning will stay strong

君にこの歌を歌うよ 少しの間、そばにいて聞いて欲しい
きっと長い時間かけて大切な曲になると思うんだ

 

 

今 私は大学生になった。もう彼らに出逢ってから6年という歳月が流れてしまったらしい。どんな場面でも口にしてしまうが 時の流れというものは本当に早いものだ。いつまで経ってもこの感覚に慣れる事はないのだろう。けれども、私は彼らへの思いをいつまでも捨てずに保管し、それと同時に あの時 の周囲への思いも捨てずに握り締めたままだ。捨てられなかった、というのが適しているのかもしれない。それは根に持っているからではなく(勿論当時は中指を立てていた)(......もしや私が厨二っ?!)、あの時伝えられなかった私の本当の思いを 今では発信したいと考えているからだ。正直、怖い。これが果たして正しい道なのか、そもそもこんな高望みを私がして良いのか...。まだ彼らに側に居てもらわなければ踏み出せないと思う。けれども。彼らが私に教えてくれた様に 伝えたいのだ。叫びたいのだ。誰かの はじまり になりたい。知らない誰かに寄り添い、問い掛けたいのだ。

 

 

People needing to be saved Scream out our help every day
But we grown numb to the sounds And feelings slowly start to drown

The first time, we can hear a voice But soon it all becomes noise
Fading to silence in the end I know it doesn’t make sense…

助けを求めてる人は毎日「助けて」と叫んでる

でもその音が続くとどんどん聞こえなくなって無感覚になっていく

1回目は「助けて」が聞こえる でもそれはそのうち「騒音」になる

そして「騒音」は「静寂」になっていく こんな風に言うと難しいかもしれないけれど…

 

 

方法も 伝えたい明確なもの もまだはっきりと決まっていない、これからそのための術を沢山学べる場で確立したものを見つけていきたいと思っている。そう これはまた私の新たなはじまりだ。(熟 彼らには多くのはじまりを提供して貰っている...頭が上がらない...)まだまだ長い道のりになる。きっとまた私は悲劇のヒロインになるのだろう。けれども、私には彼らの音楽が 言葉がある。

 

今君のいる世界が辛くて泣きそうでもそれさえもプレゼントだったと笑える日が必ず来る

 

私の おわり は誰かに はじまり を提供できた時なのではないか、と思っている。

まだはじまったばかりなのにおわりを提示するのは良くない気がするが...そうであって欲しい、そう思うのだ。

私のA。

はじまり。

こたえ。

 

いつまでも私はAを A いしている。

 

 

Now I’d like to thank you for staying by my side…

そばにいてくれてありがとう

 

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2020.5.16 mm